着物の情報をはじめ、
大好きな和の世界、趣味の長唄や歌舞伎、浄瑠璃の事。
思い付いたまま、つれづれにUPして行きます。

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疲れた
2004/10/18

 大きなイベントが三つ。
1.年に一度の展示会「心裳展」15(金)〜17(日)
2.長唄の大きいオッショはんの会「禄宣会(国立文楽劇場)」に出させてもらう、16(土)下合わせ、17(日)記念すべき初舞台。
3.ココロヤが「てぬぐい屋」を始めます。その第一作を、16(土)住吉大社で行われた「米朝一門会(南光さん、三林京子さん他)で販売。

見事に日が重なってるでしょ、今日は商品の入れ替えをせなアカンのに、力が出えへん、てかちょっと燃え尽きた。

13(水)
手拭が業者から届く、今は秋祭りのシーズンで工場が混んでるらしくて遅くなった、夜は展示会の準備。

14(木)
朝から、商品と什器を倉庫へ移動、店内をカラッポにして畳を敷き詰める。
問屋が午後から来てくれて商品の陳列、店内のディスプレイ、終了夜7時。
メシ食って手拭の検品作業、250枚丁寧に染めムラのチェック。

15(金)
「心裳展」開幕、午前中からお祝いに来て下さったお客さまで忙しい、午後は一段落。
夕方、手拭に入れる説明書を印刷しに商店街事務所へ。
九時閉店後、B5大の大きさに手拭を畳み袋詰めにとりかかる、終了3時。

16(土)
10時開店、比較的暇でチョイ焦る。
午後一時住吉っさんへ手拭を納品、三林京子さんへ直接手拭を進呈、ココロヤてぬぐいのコンセプト説明をしたら結構気に入ってくれはって、写真を撮られた。
三林さんのHP http://3bayashi.com/ に載せてくれはるらしい、嬉しい!
南光さんにも直接渡してよって云われたけど、残念時間がなかった。
一門会のお客さんに販売するコーナーを設営して、14:50国立文楽劇場へ出発。
小劇場で下合わせ、名取披露のコシノヒロコさんはじめ、祇園から舞妓芸妓もそのまんまの格好で駆け付けて凄い雰囲気。
15:30からリハーサル、何て気持ちイイんでしょう。
17:00店へ戻る、落語会の様子を見にそのまま住吉っさんへ、17:45トリの南光さんが高座を終え、無事終了。
帰るお客さんに手拭の販売、一挙に押し寄せてパニック、でもそこそこ売れた。
店に戻って営業再開、気持ちイイ疲労感、テンション高かったのでそのまんま飲みに出て帰宅4時。

17(日)
展示会最終日&国立の大舞台。
お嫁入り支度のお客様が見えるので店を浄めて待つ、11:30来店。
品物が売れるってのは何て幸せなんでしょう。
14:00羽織袴の正装に着替えて国立劇場へ、15:00念願の大舞台!ベルの音と共に緞帳が上がる、コシノヒロコさんや舞妓芸妓と同じ舞台やったので、ワーッってジワ(歓声)が起こった。満員のご見物の中で弾くのが気持ちイイの何の。
終了後速攻店へ戻る、余韻に浸る暇なく16:00到着。
17:00頃、思いもよらんお客さんがお見えになってお買い上げ、九回裏逆転って感じで気分スッキリ。
18:00閉店片付け。たくさんのキモノを箱詰めして、什器を元に戻す、あらかたカタが付いたら問屋の仲間と打ち上げ、飲みまくった、帰宅1:30。

普段、暇過ぎてどうしょうもないのに、タマにこんな時がある、でも充実してて楽しかったよ、こんな日がいっぱいあればイイのに。
さて、疲れを洗いに飲みいくか〜

  


匂いの記憶
2004/10/13

 配達帰り車を降りたら、どこからともなく香ってくる。
花の事は詳しくないけど多分「キンモクセイ」
イイ匂いが好きやけど、何か嫌い。

秋の日暮れは釣瓶落とし、すっかり暗くなるのが早くなりましたね。
過ごしやすいけど、なんかヤだ。

  


来者拒まず 去者追わず
2004/10/11

 ココロヤの大和にある本家の玄関の間に飾ってある額がコレ「来者不拒去者不追」数ある家訓の中でも好きな言葉の一つです。

大阪を夜中に出て米子に朝着く夜行電車「急行だいせん」ってのが、廃止されるそうな。最後の姿を収めようとカメラ持ったマニアの人が鈴なり。
廃止される理由は単純、乗るお客さんが少なかったからだそうな。

大阪から野球チームが無くなりますね、僕が子供の頃は「南海ホークス」「近鉄バッファローズ」「阪急ブレーブス」ってのがあって、良く近所の熱狂的ホークス(粉浜は南海沿線)ファンのおっちゃんに難波の大阪球場へ連れてってもらった、甲子園とは違う独特の濃いベタな雰囲気におもろいヤジが印象的。
この間『バッファローズ存続の為の署名』が回って来た、強い意志もなくお世話になってる人から回って来たので義理で署名。
結果は空しく、こないだ終わりましたネ。

超って言葉をいくつ重ねても足りない位の阪神ファンの友達がヒトコト、「俺らは阪神がどうしょうもない時でも応援し続けた、球場へ足を運び続けなきゃって使命感があったよ。」と、さらに「今さら騒いでも仕方がない、なんで球場に足運ばへんかってん。」とも。

世の中にそうやって無くなっていったモノって多くない?
トキなんて繁殖出来ないくらい減るまで手当てしなかったから、いなくなっちゃった。

キモノも近い将来同じような状態になってしまうかも、いやもうなってる?それが明らかな形で目に見えて来た時は何したってもう遅い。

もしそうなった時は哀愁に訴えかけたりしないで潔く滅びよう、それまではそうならないようにしっかりと守り続けなきゃいけないとも思う、守る事と壊す事のバランスって難しい。

夜行列車も近鉄球団も、それを愛用してた人は本当に不便やろうと思う、鈴なりのマニア、その時だけ大入りの球場を見るとつくづく空しい。

  


ともだち
2004/10/09

 がニューズウィークの表紙に乗ってた、「海外で活躍する日本人」やて、アホな奴やったのにイタリアで家具のデザインして頑張ってる。

エゲレスのAAスクールってとこ首席で出て、アーキテクトとして世界的に有名な賞を取った奴。

ヨーロッパでは押しも押されもせぬ家具デザイナー(最初の人とは別人ね)

デザイナーとして文部省の公費留学勝ち取った奴。

カリスマゲームデザイナー。

俺は何してんねやろ、外国行ったから偉いとは思わへんし(変化を恐れず海外で活躍する日本人、てのがニューズウイーク日本版の特集記事、海外=変化を恐れないみたいな論法がウザい、大体あの雑誌は、アメリカっぽさをウリにしてるから、「日本人よ、そこがアカンねん」みたいな特集記事が多い、手法が古いわ。)せやから云うて焦りはせえへんけど、ボチボチ頑張って浮き上がらなきゃとは思う、勿論粉浜で、住吉で、大阪で。

粉浜で活躍する大阪人、ニューズウイークの表紙には永遠に載らんやろけど、カッコエエやん、ちゃう?

  


ニュース批評
2004/10/06

 大リーグ年間最多の262安打を達成したイチロー選手の新記録にちなみ、山口県の島田明議長らは6日、同県内を通る国道262号に「イチロー」の愛称をつけるよう県に要望した。(共同通信)

うーむ、何かカッコワリィ。
維新の英雄をたくさん輩出した長州、他の名前の方がイイと思うんやけど。


京都にある五つの花街で初めての平成生まれの舞妓(まいこ)、富久美(ふくみ)さん(15)が5日、お茶屋などにあいさつ回りする「店出(みせだ)し」を迎えた。舞妓さんとしてのデビューで、髪を割れしのぶに結い、同時期に見習いさんになったうめ葉さん(16)と黒紋付きにおこぼ(こっぽりげた)の正装で十数軒を訪問。「おたの申します」の初々しい声が祇園の路地に響いた。(毎日新聞)

平成かぁ年取るはずやわ・・・・・。
あの格好は江戸時代、京大阪の金持ちの商家の子供お嬢ちゃんの格好です。厚手でボテッとした風情が関西風味でしょ。
肩上げして、袖も上げて、おこぼ(コッポリ)に、だらりの帯ってのが、子供ですよっていうシルシ、今はオバアちゃんになった元コドモのウチのお得意さんは船場のとうはん(お嬢さんって意味の大阪言葉、ちなみに、長女はイトはん、次女はコイちゃんって云います。)やったので、こんな格好させられた記憶があるそう。
最近の舞妓ちゃんは十代も後半の人ばっかりやけど、明治大正の頃にはホントの子供の舞妓ちゃんもいたそう、さぞ可愛いかったでしょうね。
子供が舞うのを楽しむゆとり、長く付き合って大人になって立派な芸妓に成長して行くのを見る楽しさ、ああ素晴らしい世界。

  


散歩大好き
2004/10/05

 大好き。

また「タスハナ」のベベの日記のお話。(http://tasuhana.com/diary/diary1.html
僕らが行ってた、武蔵野美術大学(http://www.musabi.ac.jp/)ってとこは、多摩の小平ってトコにあって、玉川上水ってのがあったり、八王子が近かったり、多摩川が近かったりした田舎、ガッコは普通の大学と違って期限付きの実習があったりしたから、時間に追われて徹夜で作業って事もしばしば、しんどかったけどその分みんなと一緒にいる時間が長いから、かなり仲良くなる。
ベベは心の友、海外にいるイケマホやオーニシってのも今でも大事な友達。

トーキョーのくせに,緑が多いから、お散歩して良く遊んだ、ドライブも遠足も行ったよ。
町に出るより,反対側の田舎、奥多摩、福生、江ノ島とかへ遊びに行く事が多かったかも。

夜明け前まで飲んで表に出たら、一面の雪、そのまま電車に乗って江ノ島まで行った、真っ白で誰も歩いてない雪の砂浜をサクサク足跡を付けてくのが楽しくてね。

ベベの9/30付のダイアリー
『なんて事はないのだけど、今日は台風が空を掃除してくれたおかげで空気がきれいで雲も湿気もなく気持ちのいいキラキラした日でしたね。
写真は夕方、聖蹟桜ヶ丘まで車で買い物に出掛けた時のもの。空になーんにもないでしょ。車のテールランプとか看板とか信号も眩しかったです。
右は私の好きな道からの写真。ちょうど若葉台タウンが見おろせます。もっと光はオレンジで、ものすっごくキレイだったのよ。この道路の反対側の景色も高台で見晴しが良く、宮崎駿の『耳をすませば』のラストあたりに道路からちょっと入った場所からの景色が出てきます。(多分ね)』

やっぱり心の友、僕チンも『耳をすませば』大好きでね、特にラストの高台から見た夜景が大好き。
答えはカンタン、学生時代の思い出の景色(遠く遠くに新宿の高層ビルが見えたりする景色)がかなりリアルに再現されてるから、ストーリーと相俟って胸がキューってなるねん。(http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink08.htm

想いを共有できる友達って遠く離れても心強い。

  


天高く
2004/10/04

 今日は十月の最初の辰の日、住吉っさんでは毎月恒例の「はったつまいり」があります、天気がイイのでスゴイ人,お蔭で「はったつ市」をやってる商店街も善男善女で大賑わい。
今日は奥に籠って事務をしてたので、気分晴らしにお詣りへ、爽やかな風,丁度イイ気候、キレイな空、鳴呼気持ちイー。
お詣りして、招福猫を貰って帰ろうとすると後ろから声が掛かる、カンヌシオー氏。
ちょっとコッチコッチと手招きされるまま、お宮の横の神主屋敷へ、五坪程の前栽が夏過ぎて雑草で荒れ放題なのを、「キャフェ猫屋」のマンナちゃんと、「串カツ青空」のマスターが草引き&お手入れ、奥の座敷では「元玉屋町ぶらんぶんたん」のママが雑談。
縁側に座って、話をしながらしばし休憩、枯れたような草の香りを嗅ぎながらボーッ。
猫:「こーんな大きい(推定25センチ)ムカデいたよ」
名:「・・・・・」
猫:「あっカメムシ」
名:「・・・・・・・」
オ:「あっコオロギ」
名:「・・・・・・・・・」
ぶ:「名倉くん、草引き手伝えへんの」
名:「・・・・・・・・・・・」

僕チン、オバケより虫怖い、ムカデなんか生まれて32年一回も実物見た事ない、見たくもない、見えない敵にオドオドしながら、退散、ギャフーン。
超キモチイイのに、虫がいなければ超キモチイイのに、みんなが変な事云うからチョとムズムズ。

  


食う 飲む 遊ぶ
2004/10/03

 久しぶりに、子供の頃良く遊んでたイトコに会った、たまにはこういうのも懐かしくてイイね、全部で七人。
妹が一時帰国してるので会いたいってリクエストがあったのと、27歳になるオンナイトコがこないだ結婚したので、旦那様との顔合わせがコンセプト。

ミナミで七時半に待ち合わせ、法善寺そばの「法善寺銀平」へ淡路や紀州の地魚を中心にワリカシ親切に値打良く食べさせてくれる店、(本家筋の系列店がミナミに2軒、心斎橋八幡筋東入ル、と、御堂筋道頓堀西入ル、にあるんやけど、こっちはチェーン展開やからか、新鮮な魚は同じでもサービス,腕前、何か足りないような気がするんですよね。)
炭の熾ったカンテキで、ごく軽くあぶったヒイカはとろり美味しい、韓国ノリもパリパリ感と香ばしさ倍増、マツタケはほんの少しの醤油で付け焼き、スダチを絞れば秋の香りが混然一体。
お造りは、中トロ、サザエ、チヌ、サンマ、サザエ、ウニ、ボタンエビ、ヤガラ、タチウオの盛り合わせ、新鮮なサンマの旨味と殻のマンマのウニが甘いのが最高、残ったサンマの中骨と、ボタンエビの頭はこんがりとカリカリに焼いてもらった、香ばしくて、結局こういうのが一番旨いってつくづく思う。
焼き物はイシダイとシマアジのかぶと焼、脂がたっぷりのったイシダイと、旨味と歯ごたえのシマアジの食べ比べが嬉しい。
生のタラの白子と、カニミソ、モズクで箸休めのあとは、新鮮なサクラエビのかき揚げ、ただただ香ばしい。
シメは名物の「鯛めし」土鍋で炊くから余計美味しい、お付けの自家製漬け物と、生ノリの味噌汁がホッとするから、お腹一杯でも結構食べられる。
家庭的なノリでかなりワガママ聞いてくれるから、ここはいつ来ても満足。

「水掛け不動さん」へお灯明と線香をあげてお詣りして、角にあるパブ「カルバス」へ、ココは中の劇場の爆発の時、法善寺横丁も燃えたのを奇跡的に助かった店、オーナーのご夫婦が粉浜の方で、毎朝挨拶をして下さるのが御縁。
この日(土曜日)は席が満席なのを(パブに7名で押し掛ける事が申し訳ないんやけど)常連さんに「入れないよ」って云われたから帰ろうと思った時、奥さんが出て見えて「奥で飲みなさい」と普段使わない個室に入れて頂いた、基本的に僕たちみたいなガキが行くとこあじゃないし、そんな特別あつかいみたいにして頂いたので、「誰やねんコレ」って感じでポカンと口を開けて常連さんが見てた。
常連になるのは気持ちのイイものやし、自分もそういう店が数店あるけど、どんな店でもいくら慣れても常連顔は慎まないといけない、お客さんはみんな平等なんやから、と何となく思ったりした。
本当にタマにしか行かないのに親切にして下さったのには恐れ入るばかり、時間も遅いので水割り二杯と塩豆を頂いてサッと店を出ました、12時までの営業やけど、こういう粋な飲み屋さんで一番最後の客になるのが嫌、ウダウダしゃべってチビチビやる姿が如何にもショボい気がして・・・・・。

ここまでで、11時半。
帰るのも惜しいほど楽しかったので,電車で帰るのヤメました。

道頓堀に出て子供に帰ってゲーセンへ、プリクラをみんなで撮った、最近のプリクラって進んでるのね、中には『イラストレータ』内蔵されてるような機能のもある、化粧するのもあるんやね、ビックリ。
エアーホッケーとか、ぬいぐるみ捕るヤツとかしたらあっちゅうまに一時前、小腹がすいたので、遅くまでやってる相生橋筋の「相生餅」であんころもちの焼き餅を買って食べた、ここのは、お酒飲む人用に作ってくれてるので、餡がアッサリ胃に優しい。

復活したので、相生橋筋は玉屋町の路地を入った所にあるカクレガな店「タパス ルナ」へ小さな店やから、中には座れへんので、路地に椅子を出してビールケースをテーブルにして、ナンキン豆とピクルス、オリーブとハモンセラートでチビチビ。
オーナーの兄ちゃんの親戚が肉の卸屋やったはるらしくて、メニューに生レバーがあったりする、コレがまた旨いネン、口一杯になるくらい大きくブツ切りにしてあるのに臭み全くナシ,頬張ると旨さの固まり、もしかすると,牛肉はホルモンも含めて大阪がイッチャンエエモン出回ってるんちゃう?。

ミナミのドまん中やとは思えない静けさ、秋らしい気持ちイイ風に、隠れてた月も出て来て、はぁイイ感じ。

名月も 隠るる月も 月は月

興に乗って作って見ました。
口の中が焼けるようなテキーラを店の兄ちゃんが「飲め!」ってくれたので、トランプの「大富豪」をしてバツゲームにしました。
負けて飲んだけど、僕アレ嫌い。

気が付くと三時半、21になる一番年下のオトコイトコが「ラーメン食いたい」って云うので心斎橋の南船場の筋の『一風堂』へ、旨いけどさぁ・・32になる僕チンの体にはこたえるわけよ、腹の脂肪に速攻反映されるからね、食いたくないの。

食べ終わって四時半白々明け、楽しかった。

  


行ってきた
2004/10/02

 奈良京都がショボく見えてしもた、重厚で神妙でリアルな宗教都市「高野山」、あの雰囲気はテーマパークとしては最高やね、じーっくり見て回ったら一日では足りないから宿泊施設が必要やけど、旅館じゃなくてお寺(宿坊)に泊まるところもミソ、そこでお精進料理なんか食ったりしたらデズニーランドが浅はかに見えてまいます。
海外の旅行案内の本が「高野山」を絶賛したそう、そのせいか日本人よりガイジンサンが多かった、確かにあれは新鮮やろうな。

「『世界遺産』に登録されたましたやろ、ようさん来てくれるんは嬉しいんやけど、お蔭で石段の苔がみなのうなってもうて、お詣りに来てくれはるんがワリカシすけない頃は、今以上に雰囲気あったんやけど」お昼ご飯(カレーうどん)に入った寂れた食堂のオバチャンの話。
大阪や和歌山のお役人さまも観光客誘致を頑張ったはるし、メディアの露出も多くなるやろから、きっとブームになる、人がたくさん押し寄せて雰囲気が変わってしまわないウチに行っかんと。

難波から二時間程、時間をかけてゆっくりゆっくりくねくねしたカーブを山肌をなめるように登っていくのが、秘境感満点。

  


書く気ナッシング
2004/10/01

 今年もあとミツキ、早いモンです。

八月九月は猛暑とオリンピックの家電景気の煽りを受けてアカンかった。
十月やから頑張らんと。

妹がエゲレスから一時帰国、久しぶりの家族。

アッチの人はやっぱり、異文化、異教徒、異人種、「異」な部分に興味あるみたい、でも妹も含めて一般的な日本人はそんな伝統文化な部分には興味ない、だから話せないらしい。
「どうしてジャパニーズはジャパンの事しらないの?」と聞かれて何だか恥ずかしい思いをするらしくてね。
ま、よくある話、新聞にも結構その手のネタが載ってる。お役人さまやら,民間会社の偉いさんが海外に出て,日本文化の大切さ知り「キモノ」「カブキ」「ティーセレモニー」を始める、みたいな。

日本の伝統文化ってホントにストイックで凄いから、そりゃあ知るべきやと思うけど、でも海外にいかなきゃ気付かないってのもね、んでそれをヨソの国の人に指摘されて始めるってのが、ガイジンさんが持つ「フジヤマゲイシャ」な日本像に迎合してるようで何かシックリ来ない、堂々と「そんな古い事は知らない、今の日本の事なら話せる」って云えばイイのに。

「ヌードルを音を立てて食べるのは、作ってくれた人にオイシイよってサインなんでしょ」って云われたそう、熱いものを美味しく食べる合理的な工夫すら、そんな呪術めいた風習のように取られてしまうってのは怖い。

勘九郎がニューヨークで歌舞伎をやって大絶賛された事でも、それが芸術として理解されたんなら素晴らしい、けど「異国趣味」に興味を持たれただけなら悲しい。
帰国した勘九郎にマスコミが「世界が絶賛!」って大騒ぎしてた、アメリカで評判を取ったからって「世界」にはならんやん、アジア、アラブ、ユーラシア、アフリカみーんなが感動してくれて,やっと世界やと思うんやけど・・・・・屁理屈かな。

イチローの大記録にマスコミはこぞって「日本の誇り」「野球の神様」とかナントカ、偉大な記録にもかかわらず、当のイチローは喜びを噛みしめ淡々粛々、某選手へのインタビュー「彼がどこから来ようが関係ない、野球人としておめでとうと云いたい。」こんな時でも冷静な本人,冷静な周囲がカッコイイ。

煽るメディア、はしゃぐ人達、田舎者が都会で一旗揚げて成功して、村民挙げてお祝いムード・・・そんな雰囲気がコンプレックスの裏返しみたいな感じがして嫌。



  


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